2008/12/02 (Tue) 66

. あつぎハーモニカ物語  .

明治、大正のハーモニカの歴史、そして昭和――。
ハーモニカ音楽を芸術の域にまで高めた岩崎重昭というすぐれたハーモニカ奏者、指導者のハーモニカに賭けた70年の半生を軸に、厚木のハーモニカの歴史をさまざまなエピソードで綴る感動のドキュメント! 貴重な音源CD付

あつぎハーモニカ物語 岡本吉生 定価2,000円(税込み)市民かわら版社

 まるでおもちゃのように小さく、手にしたその時からドレミファが吹ける楽器、ハーモニカ。
 けれどまた人の心を震わせる音楽を奏でるとなると、これほど難しい楽器もない。
 手のひらにすっぽりと収まる小さな楽器の大いなる魅力に引き込まれて、生涯、ハーモニカに情熱を注いだ人々がいた。
 いま、人間が壊れてゆくこの不安な時代に贈る、人間復興の物語。

【本書前半第一章、第二章までのあらすじ】(第三章、第四章は省略)

「かなりや」で知られる詩人、31歳の西條八十は関東大震災の夜、避難民でごった返す上野公園でひとりの少年の吹くハーモニカを聴いた。こんな悲痛な夜半にハーモニカなどふさわしくないと思ったのだが、あにはからんや疲れ果てた人々はその音色に癒されるふうだった。多くの人々に、絶望のうちに一点の希望を与えたのだと実感した。
 大衆のための仕事の価値というものを八十はそのとき初めてしみじみ知った。芸術至上主義的な考えのなかで詩作を続けようとしていた西條八十は以後、俗歌をも書いてみようと考える。「東京行進曲」「青い山脈」など流行歌のヒットメーカーとなる西條八十の目覚めと展開は震災の夜にハーモニカを聴いたところから始まった。

 時をほぼ同じくして、西條八十より6歳年下の25歳の宮田東峰も上野公園でハーモニカを吹いて慰問した。宮田のハーモニカに真剣に聴き入る罹災民の姿はそのまま深い感動であり、吹きながら胸を打たれて宮田自身涙を流した。宮田はこのとき、自分の一生を巷に生きる庶民とハーモニカのために捧げようと決意した。

 後に複音ハーモニカの日本的奏法の先駆者となる佐藤秀廊も震災の日、上野にいた。画家を目指していた彼は美術展に来ていたのだった。グラッと大きく揺れたかと思ったとき佐藤の右肩に丸太が倒れかかって怪我をした。その後遺症で佐藤秀廊はその後、絵筆を持つ事は叶わなかった。画家への夢をあきらめて彼はハーモニカに全力を注ぐことになる。
 関東大震災はハーモニカの歴史をつくる二人の人間を生んだと言っていい。

 大震災の復興なる頃の厚木に八百屋(その後、種苗店となる)の長男として岩崎重昭は生まれた。音楽好きの母が吹くやさしいハーモニカの音色を聴いて育った。
 昭和12年、重昭が9歳の時だった。厚木神社裏の相模川の土手に座ってハーモニカを吹く青年に出会った。巧みな演奏に重昭は心奪われた。やがて母に「ハーモニカがほしい」とせがんだ。
 母は重昭に農業学校の入学祝に流線型のピカピカのハーモニカを買ってプレゼントした。重昭は日がな一日ハーモニカを吹きまくった。やがて学校に指導に来てくれる清水武夫にハーモニカの奥深さを教わった。
                  
 戦争への道を歩む時代、ハーモニカばかり吹く重昭は軟弱思想の持ち主とさえみなされた。だが学校に演奏に来てくれた日本の“ハーモニカの父”、川口章吾の生演奏に触れていっそうハーモニカへの情熱が高まった。
 戦争が始まると、川口章吾が演奏し、ハーモニカ合奏団の練習場所でもあった講堂も軍の食糧備蓄倉庫と化し、天井に届くほど鮭の缶詰が何段にも積まれた。ピアノは端に追いやられたままひっそりとそこにあり、講堂には大きな鍵がかけられた。ラジオから流れてくるのは軍事ニュースや愛国詩の朗読、軍歌や軍国歌謡だった。 英米の音楽は演奏が禁じられていた。重昭はハーモニカを吹きたくとも合奏団は消滅していて軍事教練に精出す日々だった。

 戦況の悪化の一途をたどる昭和20年、重昭は宇都宮農林専門学校に進学した。18のカリキュラムを朝からぶっ通しで学び、3ヶ月間で3年分の単位を取得させられた。7月になると発酵化学を学んだ重昭は、不足する飛行機の燃料となるアルコール作りに精出すこととなった。「外池酒造」(とのいけしゅぞう)でさつまいもやじゃがいも、あずきや大豆などを発酵させアルコールを蒸留する作業に従事した。男子学生も女子学生も軍需産業に動因される暗黒時代だった。
 
 やがて戦争が終わる。宇都宮から厚木への何回目かの帰省の折だった。小田急で町田から何十人という米兵が乗り込む。ハーモニカケースを目ざとく見つけた米兵らから演奏をせがまれる。重昭は「マリネラ」「赤い翼」など何曲か吹く。兵士たちは喜んで次々にリクエストし、帽子にチューインガムやチョコレート、キャラメルの他にお金まで入れて回し、重昭にくれた。

“鬼畜米英”と敗戦の日までアメリカを憎んでいた重昭も、明るく人なつこい米兵たちの立ち居振る舞いを見るにつけ見方も変わってくる。
 翌年の初夏の晩、自宅の2階の窓を開け放ってハーモニカを吹いていると、巡回中のMP二人が下にやってきて重昭の演奏を聴くふうだった。お得意の曲を立て続けに吹くと、なにかお別れの曲を吹いてくれないかという。重昭は「アロハ・オエ」を吹いた。翌日の晩もやってきて、MPは催促の指笛を鳴らす。あくる日の午後、今度はジープでやってくると砂糖やパイナップルの缶詰、チョコレートやビールを大きな手でごっそり降ろして行くのだった。

 昭和22年、重昭は尊敬するハーモニカ奏者、佐藤秀廊の演奏会に出向く。1本のハーモニカで豊かな魂のこもった演奏が重昭を感動させる。演奏が終わって初対面の佐藤に重昭は声をかける。佐藤は気さくに、重昭に旅館へくるように促すのだった。旅館の一室でにわか教室が始まる。佐藤は重昭に奏法の要点や注意すべきところなどを教えてくれた。帰り際、佐藤はガリ版刷りの貴重な譜面を重昭にくれた。「人に感動を与える演奏がしたい」、重昭は熱い思いに燃えた。
 栃木県の新人音楽コンクールに重昭は佐藤秀廊編曲の「荒城の月変奏曲」でエントリー、優勝する。横浜で開催された「オール横浜綜合芸能コンクール」器楽部門にも挑んだ。歌謡曲部門にはまだ初等科5年の美空ヒバリも出場していた。重昭は横浜市長賞を受賞した。

 衣食住にも事欠く時代だった。昭和23年に重昭は農林専門学校を卒業し、宇都宮を引き       
払って厚木に戻った。夏の盛り、相模川でひと泳ぎした重昭が土手に寝そべっていると見覚えのある少年が別の一人の少年とそばにやってくる。二人はハーモニカを教えてくれとせがむのだった。その時の少年が後藤邦彦と大矢博文で、大矢は後の厚木のハーモニカを牽引する人物だ。
 少年たちへの指導が始まる。寒川の小学校でも指導が始まる。昭和24年、重昭の指導の甲斐あって、寒川小のハーモニカバンドは「全日本学生ハーモニカ東日本競演会」で優勝する。独奏部門では後藤邦彦が優勝した。

 全日本学生ハーモニカ連盟の会長、前坂重太郎からの要請で、これからのハーモニカ音楽の発展のためにも川口章吾のもとで本格的な音楽の基礎を学んでみないかと話があった。鵠沼の川口の自宅まで重昭は通うことになる。そこで重昭は指揮法や編曲法を学んだ。
 
 昭和25年の「全日本学生ハーモニカ競演会東日本大会」では重昭の教え子たちが大量に入選を果す。関係者の間で指導者は誰だと話題にのぼった。ちょうどその頃、新潟で学生ハーモニカ連盟の支部長をつとめる仲村洋太郎から指導者を探している話が前坂重太郎にあり、重昭の傑出した指導ぶりをかう前坂は重昭を推薦した。
 前坂と副会長の井沢猛が岩崎家にやってくる。重昭と父、芳太郎を前に前坂が新潟の事情を話し、ぜひにと指導を依頼する。芳太郎は重昭にこう切り出す。
「農業高校を出て、宇都宮農林に行ったのは何のためだ。家業はいったい誰が継ぐ? 俺が病気にでもなればどうやって食べていく? ハーモニカで身を立てられるはずがないだろう」
 重昭は「月の内の10日は必ず帰る」と約束した。
 
 昭和26年夏、重昭は単身、新潟へと赴くことになった。産婦人科である仲村洋太郎の家の二間を重昭の仮住まいとしてあてがわれた。新潟のいくつかの高校の指導にそこから通った。父との最初の約束はすぐに破られることになる。各学校のハーモニカ合奏はめきめきと力をつけて全日本コンクールでも上位を独占するようになった。

 新潟での生活は重昭に音楽的な成長をもたらした。仲村洋太郎は尺八を吹く音楽家でもあった。宮城道雄や福田蘭童などの音楽家たちとも出会った。この頃には小学校などでの器楽合奏も盛んになっていた。そのうち重昭の父の喘息もひどくなる。家業の種苗店も気にかかった。
 新潟と平行して相模原町の麻溝小学校の指導も始めていた。重昭は新潟を後にし、厚木に戻った。重昭の本領はいよいよ発揮され、麻溝小リード合奏団の力はめきめきとついていった。
 麻溝は養蚕が盛んな土地柄、猫の手も借りたいほどで子どもたちも重要な働き手だった。
 最初、器楽合奏などに無理解だった親たちは、次第に興味と理解を深め地域ぐるみで応援してくれるようになった。
 夏休みの合宿などには応援の先生や小使いさんがおやつにジャガイモや、サツマイモなどを蒸かしてくれる。大人も子どもも「全日本で優勝しよう」を合言葉に一丸となって目標に向かっていた。全身で子どもたちの指導にあたる金井先生の情熱は熱かった。
 
 麻溝小学校のリード合奏団は全国コンクールで2年連続優勝を果す。優勝の瞬間には子どもたちと手に手をとって喜んだ。子どもたちのこぼれる笑顔に重昭も金井先生も目頭が思いっきり熱くなるのを感じた。


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