2007/04/27 (Fri)  

. 散歩のとき .

 初夏のさわやかな風に誘われるように、仕事の合間の時間を縫って愛犬クロと近くの中津川まで散歩しました。
 やわらかなみどりが目に心地いい刺激を与えてくれます。こんなにも美しいみどりはこの季節に特有のものです。
 目をやる先々の家の庭には赤や黄色、青、紫とさまざまな花たちがいまこのときとばかりに幸福な時間を慈しむように微笑んでいます。
 道の脇の斜面に広がる竹やぶには、こげ茶色の新しい装いに身を包んだ竹の子がすっくと天を見つめています。まだ生まれたてのような幼い可愛い竹の子、少しは成長した少年のような竹の子、親竹の半分くらいまでに育った青年の竹の子・・・。そのどれもが大人の竹に見守られながら、地面を割ってたくましく一刻一刻と成長しているようにも見えます。
 
 真っ青に晴れ渡った空にはまるで脊髄のレントゲン写真のように飛行機雲が薄く白く伸び広がっています。その横を高く高く、まるで白子か何かの稚魚のように機体を白く透き通らせて、飛行機は4月の青のキャンバスに細い毛糸の二本の筋をまっすぐに引いて、緑の山の向こうに消えて行きます。
 飽くことなく眺めているとまた一機、空の白子がやってきて音もなく細い線を書き加えていきます。

 はじめ何もなかった空。いつのまにか毛糸はほつれ、飛行機が作った雲は薄く透き通ったベールへと姿を変えます。
 ほんのわずかな時間のなかで自然と文明が織り成す壮大なドラマを、ひとり楽しめたような得した気分です。
 もう桜草も終わりかけています。クロは花などよりやわらかく伸びた草と戯れて気持ちよさそうです。
 きょうの散歩は幸せな心楽しい、いい散歩でした。


2006/12/06 (Wed)  

. 思いがけずシャガール .

 たまにできた休日、青山に出向いた。路地を歩いていると偶然「青山ユニマット美術館」という小さな美術館に遭遇した。道路に面したビルの2、3、4階が使われている小さいとはいえ立派な美術館だ。
『シャガールとエコール・ド・パリコレクション』。もうこれは黙って通り過ぎるわけにはいかない。
 100歳近くまで生きたベルラーシ出身のユダヤ人画家、シャガール。この人の絵の色彩とその発想が好きで、まだ彼が在世中の、いまから30数年前に観た「シャガール展」でいっそうこの画家への興味を深めた。
 
 若い女性が持つ緑色のバイオリンの後ろでは山羊が笛を吹き、その薄暗い背景には親子が立ち、そのさらに向こうには恋人たちが抱き合っている。人間の目をした鳥や白いドレスの娘があまり脈絡もなく中空を漂うように配される。1945年に描かれた『ブルーコンサート』と題されたこの大きな絵は独特な赤と青と緑と白で構成され、そのコントラストが見事だ。
 何層にも塗り重ねられた深い色合いを醸す絵の具の筆跡を、鑑賞者の少ない小さな美術館でじっくりと、舐めるように見られたのはなによりの幸運だった。

 ぼくの好きなモディリアニの『褐色の髪の少女』のほかにピカソや藤田嗣治、デュフィ、キスリング、ミレーやコローの作品にもゆっくりとつきあえて本当に幸福なひとときだった。
 思いがけない美術館との遭遇、こんな時間を持てて神様に感謝! 無目的に歩いても必ず何かを発見できるのが都会の楽しさだろうか。


2006/08/15 (Tue)  

. 舟木一夫、そして野口雨情 .

 きのうは母を連れて、舟木一夫の特別公演「野口雨情ものがたり 船頭小唄」を観に新橋演舞場へ行く。
「高校三年生」の大ヒットからもうかれこれ42年、詰襟の学生服に身をつつんだ若き日の舟木一夫はいまや還暦を過ぎた初老の男ではあるが、シャイでダンディな面持ちは少しも歳を感じさせはしない。ステージでみせるあの笑顔はいまが旬とばかりのオーラを発してもいる。

 42年前、歌謡番組で物憂げな面持ちで歌う舟木一夫をまぶしく見つめていた少年の頃のぼく。しきりに鼻を近づけて匂いを嗅ぎまわる何かの動物のように、白黒の走査線を放つブラウン管に鼻をつけるようにして見入っていたような記憶がある。歌の世界を想像しつつ何年後かにはなるであろう高校生の生態とでもいうべきものを嗅ぎだそうとしていたようにも思う。
 
 いつのまにかあの舟木一夫の歳を通り越して気が付けばぼくも50代半ばも目前だ。この40年、右へ左へと揺れながらも歩んできた人生をなつかしくさまざまな感慨をもって振り返ってみもするのだが・・・・。

 そう、肝心の野口雨情のことだ。
 明治15年茨城県に生まれ、北原白秋や西条八十等と、童心こそ大切と、童謡詩に力をいれるとともに中山晋平と組んで新民謡の創作にも力を注いだ。
「七つの子」「十五夜お月さん」「赤い靴」「あの町この町」「しゃぼん玉」「雨降りお月さん」「波浮の港」「船頭小唄」・・・・。比較的よく知られているのはこんなところだろうか。
 童心とはいえそのどの歌にもただ明るいという詞はない。むしろある意味では救いのないほどの哀しさを孕んだ詞が多いような気がする。

 芭蕉はいうに及ばず、俳句は句の表には直接の感情を現さず、言葉に景気を押し込めて句にしたてるという方法がとられる。野口雨情の詩、詞も言葉で構築された世界の向こうに潜む気配のなかにそれとなく詩人の思いを塗り込めているように感じられる。

 きのう観た芝居ではややつくりすぎというようなところもあるように思えたが、雨情と詩作を考えるうえでヒントになるところも多かった。
 雨情は昭和20年1月27日、日本の敗戦を知ることもなく永眠した。


2006/08/13 (Sun)  

. 盂蘭盆 .

 日頃は不信人な僕ではあるが年に何回かは仏壇に線香をあげることもある。
 今朝もひとり暮らす母のもとに出向き、盆飾りを手伝い、裏山の中腹にあるお墓の掃除とお参りを済ませて家の門口で藁を燃やし、迎え火をたいた。
 そういえば昔は茄子に割り箸のようなものを刺して、牛だか馬だかを作ったりしたな。これに乗ってご先祖様が帰ってくるんだよ、と幼少の僕に母は話してくれたっけ。茄子の馬に乗ってやってくる先祖たちの姿を想像する一方で、こんなにも頼りないものにどうして乗れるんだろう、内心そんな感想をもったこともあったような気がする。

 床の間のある奥座敷にお盆の間だけ設える仏壇の前にひとりうやうやしく神妙な面持ちで座してみる。仏壇にはぶどうや梨が供えられ、脇にはほおずきが花瓶に生けられている。母が畑で丹精こめてつくった蝦夷菊も生けられている。
 迎えたばかりの先祖の霊の供養をと線香に火を点じる。紫煙をくゆらせて白檀や沈香の香りが鼻をつく。心やすまる深い香りだ。
 立ちのぼる紫煙の向こうには、亡くなって6年にもなる父やもう三十数年にもなる祖母、父の昔話のなかでしか知ることのなかった祖父やその他多くの縁者たちの位牌がじっとこちらを見つめている。

 わが血の一滴へとつながる先祖たちへと思いを馳せる。それは歴史と言ってもいいかもしれない連綿と続く時の堆積を、あたかも双眼鏡で遠方を見やったときのように一挙に圧縮された時間として、あのときの祖母、あのときの父、あのときの叔母の姿が同時にフラッシュバックするように脳裏に瞬き、行き来する影像とともにさまざまな想念が湧きあがる。

 過去を想う。過去と繋がる。過去の人々と交わる。瞑想にふける静かな時間が線香の燻る速度のようにゆうらりと過ぎてゆく。

「メロンが切れたよ」
 母の僕を呼ぶ頼りない声に急に現実に引き戻されはしたが、久しぶりに適った本当に貴重なひとときだった。



2006/08/08 (Tue)  

. 映画、そして面白い本 .

 銀座に行く。
 日なかの銀座はクラクションを鳴らして車の激しく行き交う通りも、そして人波に埋もれる歩道、コンクリートに身を包んで立ちはだかる建物も、白っぽくハレーションをおこすほどに激しく炎熱の太陽に焼かれて痛々しい。
 そんな炎暑のなかに身を置くと、何とはなしに61年前の焦土と化した東京の光景が時を隔てて脳裏に像を結ぶ。もちろん僕の知らない東京。ただただ想像のなかの東京。それもいま読んでる本に触発されてのことなのだろうか。
 
 目的は映画だった。いま話題のイッセー尾形主演、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」という映画。それを観にわざわざ銀座に出向いた。終戦前後の天皇を描いたはじめての映画だ。

 セリフの少ない全編、疲れていたせいもあって映画の途中、不覚にも何度も居眠りをしてしまった。だから映画を評する資格は僕にはない。そのことはまず前提として・・・。
 ものの見え方というのは立場が違えばもちろんまったく違って見える。われわれ日本人と外国人の違いなのだろうか。それとも問題意識のありようの違いなのだろうか。もっと一人の人間としての天皇の心の内奥に深く、深く入り込んであの時の天皇を描いてほしかった。
 
 戦時中、新聞記者としてヨーロッパに赴任していた松尾邦之助の「無頼記者、戦後日本を撃つ」(社会評論社)を読んでいる。往復の電車の車中も読んだ。面白い。眠気がとぶほどに面白い。悲劇であれ喜劇であれ、あの時代を呼吸する生き生きとした人間が面白い。精一杯真剣に生きた人々が面白い。作り事でない本当が面白い。映画より面白い。


2006/08/05 (Sat)  

. 夏本番! .

 午前中から30度を優に超えて、熱気が身体中にまとわりつく。こんなふうにいきなり夏らしくなると、仕事への気力さえひるんで来客への挨拶も「暑いですね」と暑い暑いの力ない大合唱。
 店には冷房を入れ、空気を攪拌すべく扇風機も全開で回す。あれほど夏の到来を待っていたくせに、早く涼しくならないものかといつのまにか体と頭の半分は夏をうらめしく思ったりしている。われながらまったく勝手も過ぎると呆れてしまう。
 
 きょうは夜、厚木の鮎祭りに女房と連れだって自転車で行く。行程往復16キロほど。目的の厚木中央公園では前夜祭のコンサートがあった。さしてお目当てというわけではないのだが、西城秀樹が出演とあってひやかしで覗こうとの心づもりだった。
 もう彼も50を過ぎた中年のおじさんのはずだが、けっこう若いファンも多い。歌にあわせて「ヒデキ!」と黄色い掛け声が飛ぶ。テレビの影響力を見せつけられた気がする。ほんの30分足らず、懐かしい歌を聴けましたが、それより何よりやはり嬉しかったのは屋台のビールにじゃがバタ、それにやきそばにありつけたことか。

 帰宅して汗まみれのからだをシャワー。そのあとは冷たいビールがもちろんおいしい。これも夏ならではの醍醐味か。やはりまだしばらくは暑くていいかな。


2006/08/03 (Thu)  

. 幸せな時、しあわせな場所 .

 午後には太陽が顔を出してようやく夏らしい日和となった。
 小一時間ほどかけて自転車で教室に向かう。
 相模川はぼくが高校生の頃、つまりは30数年前とかわらぬ風情で北から南へ向かって悠々と流れ続けている。上流のダムのおかげで水量は減ったかも知れぬ。けれどその振る舞いや佇まいはあの頃と少しも変わらない。川岸に波打つリズムさえ・・・。ふと高校生だった頃の自分を思い起こす。

 川に沿って遊歩道を北上する。遠くに見える葦の繁みの手前の流れにはコサギだかアオサギだか、一羽のサギが時を弄ぶように突っ立っている。その川下にはザアーッという音とともに低い堰をまたぐ水流がその白い腹を天に見せてしぶきを上げている。その向こうには低く緑の山が物思いにふけるように静かに佇んでいる。

 遊歩道の脇には壮年期を過ぎた桜の木が連なって並木をつくり、頭上の繁みからは油蝉のにぎやかな鳴き声がジージーと天からの冥利の声のごとく聞こえてくる。
 自転車を止めてひとつの音に耳を凝らして蝉の姿をさがす。やがて細い幹に張り付いて腹を震わせて鳴く一匹の蝉を認める。待ち遠しかったに違いない。ようやくやってきた夏が。

 セキレイが目の前を横切る。真っ黒く孤独そうな一羽のカラスも樹間をわたる。鳥も木も風も何の衒いなくいまを無心に呼吸して、ただあるがままに生きることだけを穏やかに受け入れているように思われる。
 風、川、鳥、蝉・・・・、さまざまな音がひと時に通いあう。

 こんな景色を観、感じるだけで陶然と時間を忘れてしまう。山も川もやさしい自然のなかにいま自分が在ることを心から嬉しく思う。


2006/08/02 (Wed)  

. 心はすでに・・・・ .

 待ちに待った梅雨明け、気が付けば8月葉月。もう夏の半分を終えてしまったというのにいまだカッと夏らしく太陽の照りつける日がない。なんともさみしいかぎり。晴れてもせいぜいうすぼんやりと寝ぼけまなこの天の顔だ。
 ぼくはといえば朝飯よりも空模様ばかりが気になって天ばかり仰いでご機嫌伺い。それでもきょうは少しは気力をとりもどしたか、精気回復のきざしは感じられる。なんとかがんばって額に汗の大粒をかかすほどの夏の一日を期待したいところだ。
  
 きょうこそは事務所の隅におとなしく鎮座するロードレーサーに久しぶりにまたがって相模原の教室までペダルを踏もう。
 ゆるり泰然と流れる相模川の川面の光や、緑の木々を縫うやさしい風が行く先々に待っていてくれる。そんな風や光を想うだけで体のなかにむくむくと歓喜湧く。もうぼくの心は浮きたって早々と自転車に乗っている。


2006/06/24 (Sat)  

. ハーモニカ三昧 .

 先日、厚木市文化会館小ホールを会場に開催された「あじさいコンサート」はほぼ満席の盛況で、各出演者の演奏のレベルアップが感じられる楽しいコンサートだった。
 厚木市を中心にハーモニカアンサンブルは100団体を優に超える。全国的にみても当地がいかにハーモニカが盛んかうかがい知れることだろう。それぞれの団体が互いに刺激を受けながら切磋琢磨しているさまは他県の人からみればなんとも異様なくらいに映るかもしれない。
 120人の大アンサンブル、「あつぎグランドハーモニカアンサンブル」も毎月3、4回の練習を重ね7月29日の「あつぎハーモニカフェスティバル」に向けて「チゴイネルワイゼン」「結婚行進曲」などに取り組んでいる。来月19日にはNHKラジオの取材を受けることになった。全国ネットでまたまた“ハーモニカのまち厚木”をアピールすることになる。
 
 それにしてもハーモニカ関連のコンサートなどが本当に多い。7月1日は当店主催の「コア音楽講座合同発表コンサート」があるし、それが終われば「クロマチック夏のハモニカ学校」だ。そして「あつぎハーモニカフェスティバル」、8月には愛川ハーモニカアンサンブルの10周年コンサート、秋には「ハーモニカで第九を楽しむコンサート」、「テンホールズ秋のハモニカ学校」、「AHAハーモニカコンサート」・・・・。
 この間にもわれわれカルテットは地元での二つの出前演奏の他に箱根、東京と演奏が続く。
 1年があっという間に感じられるのは至極当然なはずなのです。


2006/05/30 (Tue)  

. 全日本ハーモニカコンテスト .

 FIHジャパンが主催するハーモニカのコンテスト、「第26回ハーモニカコンテスト 決勝ライブ・コンサート」が昨日、御茶ノ水の全電通ホールであって、テープ審査を通過したぼくたちはトリオと大アンサンブルで出場した。結果をいえばトリオでは2位、大アンサンブルでは1位を受賞、それなりの結果を残すことができたということではある。
 ところが嬉しい気持ちにかわりはないはずだけれど、いまひとつ自分たちの昨日の演奏についていえば納得いかないできばえと言うしかない。そんな思いがいつまでも心の底に沈んでいてきょう一日、ボーとしてしまった。
 
 コンテストというのは何でもそうかもしれないが、会場を埋める数百のお客様はただ演奏を楽しみに来ているというよりは、予選を通過した連中はどの程度の演奏をするのだろう、といった醒めた審美の眼差しをもってステージを見つめている。そうした厳しい眼差しはコンテストのステージに立つと痛いほどにひしひしと感じる。もちろん数名の審査員のもっともっと厳しい視線も。
 そうした厳しい視線に平常心が打ち砕かれて、日頃の練習ではこんなところでミスしないというような箇所で音をはずしたり、いつもより余計にくちびるが乾いてすべりが悪くなってしまったり・・・・。
 コンテストのステージには本当に魔物が棲んでいるとしか言いようがないのだ。
 
 ともあれ2位なら2位、1位なら1位をとった者の責任というものもある。受賞に恥じない演奏をこれからは求められる。どちらかと言えば賞をとることよりも、賞をとったあとのほうがきつい。そのプレッシャーに押しつぶされないように日頃の練習も含めて精進を重ねるしかない。
 
 6月17日には厚木市文化会館小ホールを会場に「あじさいコンサート」に「愛川ハーモニカアンサンブル」で出演(カルテット「ザ・フーフー」も)、7月1日は愛川町文化会館ホールを会場に「コア音楽講座合同発表コンサート」に「愛川HE」、そして「トリプル・ワイズ」(カルテットも)で出演、8月20日にはやはり愛川町文化会館ホールを会場に「愛川ハーモニカアンサンブル結成10周年記念コンサート」での主役が控えている。
 今回エントリーしなかったカルテット「ザ・フーフー」(2004年に1位受賞)としては6月4日に箱根の湿生花園での演奏がある。一層気を引き締めて練習に励まなければいけないな、と自分に言い聞かせているところではある。



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